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「SHOYA TOMIZAWA」
 

書こうか書くまいか迷っていたけど、やはり触れないわけにはいかない気がする。

2010年9月5日、イタリアのリビエラ・ディ・リミニサーキットで開催されたサンマリノGP、Moto2クラス決勝レースでのアクシデントで、将来を有望視されていた日本人ライダーの富沢祥也選手がお亡くなりになった。

あのアクシデントは、避けようがなかったのかもしれない。ストレートに近い高速コーナーでのアクシデント。レースは接近戦で、悪いタイミングが重なってしまった。見た瞬間、心臓が苦しくなり、その後のレースには集中できなかった。大ちゃんの時を思い出さずにいられないクラッシュだった。

Twitterやmixiで情報を探したが、MotoGP決勝を制したダニにDORNAのスタッフが近づき、何かを伝えて空気が変わった瞬間に、最悪の事態になってしまったのだと感じた。




アクシデントが起こるまでのサンマリノGPの富沢選手の走りは、ここ数戦、自分の実力以外の要因で結果を残せなかった鬱憤を晴らすような、久しぶりの快走だった。

コーナーを幅広く使うきれいなライン。相手をきっちりとパッシングするクリーンな走り。時にかいま見れるミスは、レーサーに必要な負けん気の強さからか。それでも、ブレーキ競争が目立つMoto2クラスで、富沢選手の走りは光っていた。

開幕戦カタールGPの優勝を見て、誰もがこのまま富沢選手の時代が来ると感じていたはず。洗練されながらも太い走りには芯の強さが感じられたし、明るい笑顔はスターの素質充分。テレビカメラを向けられれば笑顔か楽しいリアクション。走りだけではなく、存在自体が輝いていた。新しい英雄の誕生を見る喜びを、毎レースごとにGPファンに感じさせてくれていた。

その富沢選手が何故。なんで富沢選手だったのか。神様の理不尽さを感じずにはいられない。

起こってしまったことは戻らない。それは事実だけど、そんな一般論で片付けられることでもない。この理不尽さを受け入れるには、少し時間がかかりそうだ。ぼくはただのファン。でもこれだけ悲しい。ご家族や関係者のお気持ちを思うと、察するに余りある。

ぼくらは富沢祥也選手の走りと笑顔を一生忘れないだろう。世界中のMotoGPファンだって、SHOYA TOMIZAWAというヤングライダーを忘れることはない。そんなことは慰めにもならないかもしれないけど、ご家族や関係者の方々には、富沢選手はそんな大きな存在だったのですとお伝えしたい気持ちだ。

富沢選手の19歳という短い一生が充実したものであったことと信じつつ、ご冥福をお祈りします。




 
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